New from ABC Hobby – Toyota CELICA 1600GT Genetic 1/10 Mini Chassis

TN戦争と呼ばれるトヨタと日産の激しい販売競争が続いていた1960年代後半、セリカの生みの親であるトヨタ自動車工業 取締役・製品企画室副室長の長谷川龍雄氏は、大衆車のカローラとファミリーセダンのコロナの中間に位置する新たな大衆車市場を構想していた。その構想には <面の広がりと深さの広がり>という二つの軸があり、この軸の<面の広がり>はカローラとコロナに続く『第三のファミリーカー』。<深さの広がり>には、 スタイリッシュでスポーツ的な性格付けがされた『スペシャリティカー』を意味していた。この構想は後に<面>がカリーナ、<深さ>がセリカとして具現化 し、トヨタ大躍進の原動力となる。

日本初のスペシャリティカーと言われるセリカは、アメリカのある一台のクルマからスタイリングや販売戦略に到るまで多大なる影響を受けている。そのクルマ とは1964年に発売された初代フォードマスタングである。『ポニーカー』と呼ばれる斬新なスタイリング、若者をターゲットに内装と装備を簡素化した徹底 的な低価格化戦略を計りつつも妥協の無い走りの性能。この魅力的な仕様で若者にアピールしたマスタングは、狙い通り若者のハートをガッチリと掴み爆発的な ヒット作となった。海の向こうの一大センセーションを見たトヨタ自販側は長谷川に「マスタングに似たような車を開発して欲しい」と依頼する。この依頼がセ リカの製品企画とデザインに大きな影響を及ぼす事となる。


セリカのエクステリアは、アメリカで大流行していた『コークボトルライン』と呼ばれるデザインを取り入れつつも単なるアメ車の模倣ではないオリジナリティ を確立し、現代でも通用する見事なまでにスタイリッシュなデザインとなった。このデザインは、トヨタ社内デザイナーの畔柳俊雄(くろやなぎとしお)の手に よるものである。この日本離れしたスタイリッシュなデザインにスポーティーな走りを低価格で盛り込む為に設計の面で様々な工夫をする。部品をカリーナ、カ ローラ、コロナと共通化し、新開発のTシリーズエンジンも4機種(内OHV3機DOHC1機種)はその構成部品の大部分を共通化する事でDOHCエンジン の量販化にも成功した。さらには先のカローラで搭載した4速トランスミッションを改造した5速トランスミッションを搭載。ここまで徹底的なパーツとコン ポーネントの流用でコストダウンを図れたのも長谷川がクラウンとセンチュリー以外のトヨタ全車種を統括する立場だったからであり、そしてセリカはあくまで 低価格で大衆向けのクルマにする事に拘り続けたからである。


さ らにセリカは販売形式もフォードマスタングの成功に習い『フルチョイスシステム』という形式を取った。これはユーザーが好みで1600ccツインキャブ (105ps)、1600cc(100ps)、1400cc(86ps)の3種類のエンジン・5速、4速、トヨグライド(現在のオートマチック)のトラン スミッション・ET、LT、STのエクステリア・8色のボディカラー、そしてインテリア・ブレーキ・シートカラー・オプションに到るまでを選択するという 当時において画期的な方式で、今現在ではポピュラーなこのようなオーダーシステムも日本では初代セリカこそが元祖である (DOHC1600cc(115ps)エンジン搭載の最上位グレードである1600GTは仕様が固定されフルチョイスの対象外)。


こうしてデビューしたセリカは、狙い通り若者層からの圧倒的支持を得て日本に『スペシャリティカー』という新たな市場を開拓した。セリカはアメリカにおい ても『オリエント・エキスプレス』と賞賛され若者からの支持を集め、今現在でもアメリカの旧車イベントやトヨタ車専門のイベントでは全米から物凄い数のセ リカが集合し、思い出話やカスタム自慢を披露する程の人気と評価を得ている。そしてセリカはピーク時の年間総生産台数は30万台に達し、名実共にトヨタを 代表する名車となった。またセリカは、松任谷由実の歌『よそゆき顔で』の歌詞で当時の最先端のライフスタイルと若者の心象風景を表現する固有名詞として登 場する。日本初のスペシャリティカーは、ポピュラーソングに登場するほど広く大衆と若者に愛された。

Source : ABC Hobby

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